野口晴哉
教わる、教える、ということについての少し考えた。「考えた」といっても結論めいたものはなく、あくまで頭の中のもやもやを視覚化するための独り言である。 これまでにいろいろなものを習ってきた。しかし教わって身に付いたものはというと、教えてもらった…
息子は今釣りがやりたいらしい。貯金をはたいて釣り具を買いそろえたのであとは現地に行くだけなのだが、道具をいじる姿から気焔が立ち昇っている。 ある時は野球を一所懸命やったし、少し前はベーゴマに夢中であった(これは今も続投中)。やりたいことが次…
毎年のことだが今年も目標は立てなかった。野口整体では新年になると今年の目標を提出させる。誰が、誰に?ということだが、私が通っていた道場では先生が整体指導を受ける人に対して「整体指導を受ける目的」を年が変わった最初の指導の時に新たに書かせて…
NHKのドラマで久しぶりにある女優さんを見たら、すっかりおばあさんの体になっていたので容貌とのギャップに驚いてしまった。 一方でその方と同世代とおぼしき共演者はまだまだ若い。職業柄何か鍛錬をされているのかも知れないがドラマの内容よりその差が印…
しかし、心の教育の中に体の働きを取り入れるなどということは、本当ではないのである。私は人間の中のある、最初からあったもの、生まれる前からもっていたもの、天心というか、潜在意識というか、これを方向づけることが唯一無二の教育であり、これを余分…
弱気を助けず、強きを挫かない もう一つの問題として、親が妹の方を余分に庇っているのではないかということがある。小さい方を庇うのは当たり前だという、庇おうとする態度が露骨に出て、何か、弱いものを庇うのは当然なことのように思っているところはあり…
他の動物の親は、楽しみまた快く育児を行っている。育児は本能の行動、人間もまた同じ。然るに人間は悧巧になって、育児が辛く、また難しくなりだした。 勘があれば判ることが判らない。第一、人間が育てているというより、育児の知識が育てているようなもの…
本当の意味での愛情は「愛しています」という言葉でなくて、相手の動作の細かいところまで心が行き届いて、大事にしていくことです。 野口晴哉著『女である時期』全生社 p.38 「愛情とは取り引きではなく、その人の幸せのために、いくらでも注ぎ込んで、何も…
ある日、レントゲン写真を沢山もって、面会に来た人があった。その人が帰ってから先生※が言った。 「いくらレントゲンで写しても、切り開いて見ても、借金も、失意も、嫉妬も見つからないよ。重要なのはそういうことなんだ。 幸いなことに、背骨は外から指で…
「心の角度をフッと変えると、人間はその全部が変わってくる。」と先生は言う。 野口昭子著『回想の野口晴哉 朴歯の下駄』ちくま文庫 p.73 ※「先生」とは著者の夫 野口晴哉のこと 相手の心の中に火をつける。火がつけば勝手に燃えていくのです。そういう力が…
物質の充足が、そのまま幸福につながるという考えは、本当はまだ幸福について深く考えたことのない人のものである。私はヨーロッパやニューヨークの日曜日の公園で、お金がありあまっていながら孤独な老人たちを何度も見かけた。お金で満足は得られても、幸…
生くるということは生くること自体にその意義があるのであって、死ななければ生きている意義が判らないのではない筈だ。 生くることそのものに生くる意義を感じて生きていくように生くる、そこに第一歩があり、生くるということに十全にその生を発揚して生活…