久しぶりに整体の話。「腹部」について書いてみる。
整体でいう「健康」「不健康」という概念は一般社会のそれとは大分異なる。
例えば病気がある、なし、ということで健康になったとか、健康でなくなったとは言わない。
そういう物質現象もさることながら、それ以上に全体としての調子とかリズム、何より当人の感覚ということを重んじる。
そういう主観と客観が整合的に現れる部位の一つが「おなか」ではないだろうか。
昔は子どもの調子などはおなかが丸くて弾力があれば良い、という見方さえあった。
おなかを見てこれは大丈夫だ、とかこれは心配だ、という判断が付くためには観察者の身体性がそれなりに開拓されていることも必要だ。
しかし現代は足腰を使う仕事が激減したために身体の中心としての「おなか」を必要としなくなった。頭と手指さえ動けばほぼすべての生活の用は足りる。
こうしたことは日本の近代化に伴って生じてきたことだろうが、時代が進むにつれておなかや胴体に求められる力は縮小する一方である。
野口晴哉による整体の黎明期には日本各地から多くの民間療法家が集い、おのおの理論や技術を出し合ってその普遍性を点検し合ったことはご存知の方も多いと思う。その中に野口の盟友として共に協力し合った治療家の一人に野中豪作という腹部を観る大家がいたいう。
筆者はその方法を体験したことがあるが、およそ胴体の外縁を適宜刺激して、本来の〇(まる)に正す技術であった。
今流に言えば、胴体を支える深層筋群を活性化しているのである。
しかしこうした方法が安定的に奏功したのも、せいぜい昭和の終わり頃までではないだろうか。
何故かといえば「体を刺激して正す」ということが可能であるためには、正しき位置を保つための構造に依存するからである。
昭和から平成、令和という流れの中で日本人の体構造、とくに胴体部の弱体化は顕著である。人間の胴体というのは直立の姿勢をよく保つために後天的な構造の獲得を必要とするが、かつての構造が消失の憂き目にあっている。
一方では西洋式のトレーニングできれいにシェイプアップされた体や筋骨隆々の肉体も見かけるようになった。昭和のプロ野球選手や相撲取りの体と現代のそれを比較すると顕著であるが、グローバル化による欧米的価値観の侵出はあらゆる分野で強力に作用しており、身体においても多様性と格差は生じているように思われる。
既存の野口整体の方法でこの胴体部の深層筋群を活性化させる方法はといえば呼吸法になるだろう。
活元運動の準備動作である邪気の吐出法、そして深息法、気合法などである。時代性もあってネーミングは少々野暮ったく感じるが、内容自体は不易のものである。何故なら人間の身心は100年や200年で根本的な性質までは変わらないからである。
現在フィットネス関係の情報は百家争鳴といった様相だが、調子が良いと感じる時のおなかの弾力や皮膚のしめり気について触れているものあまり見ない。灯台下暗しというか、身近過ぎるが故の盲点なのかも知れない。
生活様式によっては体幹部の深層筋を鍛えることも必要だろう。体幹トレーニングについてはYouTubeにいくらでも転がているのでここでは触れないが、おなかの固い人には、小さな「ぁ」の口で静かに(無音で)長く息を吐くことを勧める。多くの場合、15分も続けると腹部が柔らかくなると同時に気分が変わってくる。心と体にまたがる呼吸という生理の特効である。