野口先生は人間を調べるためにとにかく自分の目だけを頼りにしていました。
世間には「野口整体は西洋医療を全否定…」などという誤解をしている人もいるようですが、そのような偏見ではなく、野口先生は物事を無垢な目で見ることに余念がなかったのです。
むしろ西洋のものだから全面的に正しいはずだし、勝(すぐ)れているはずだ、という考え方のほうが歴史的事情による偏見です。
こういう考え方は欧米列強の圧力に屈して開国を余儀なくされた時からはじまり、さらに敗戦によって強化された自己卑下と羨望の産物でしかありません。
西洋には西洋なりの世界の見方があり、人間の見方があります。その視座、見る角度から浮かび上がってくる現実というのはどうしても偏るのです。しかしこれは人間がものを見る以上避けられない問題で、整体の観察が普遍的であると言っている訳ではありません。
話をタイトルの方に寄せますが、野口先生が発見した人間の性質、というのは「体癖」に代表されるように固有であり、独特です。実際に整体的視点で臨床を重ねていくと「よくそういうことを見つけられたな」と思うことが非常に多いです。その中の一つに「汗の内攻」という現象があります。
もとより発汗にはいくつかの役割が考えられます。オーバーヒートした体を冷やすことが大きな役割の一つですが、老廃物や毒素(現状の体に不要なもの)を体外に排出する作用もあるとされます。
ところがこの汗で皮膚や衣類が濡れたまま、扇風機の風やエアコンでさっと冷やすと汗が引っ込んで内攻する、ということを野口先生は発見しました。もともとの着想は漢方の傷寒論という本にあるそうです。
この「引っ込む」という表現がいま一つ私には分かり切れていません。汗腺から出てきた玉の汗が風に当たると確かにさっとなくなります。そのなくなる瞬間を見たことがないので、もしかしたら本当に毛穴から「引っ込んでいるのか」などと思っています。
ただ汗が内攻した体がどんなものかというのは、最近になってよくわかってきました。汗の内攻が応えるようになるのは主に中年以降です。自分の体もそうですし、人の体をみてもそのように思います。
まず体が重たく感じます。動くのが億劫になり、だらだらと寝るようになる。いわゆる風邪の兆候によって、体力のある子どもならパッと熱を出し、汗をもう一度出して捨てようとします(この時に冷やすのは禁忌です)。カラ咳が出ることもありますし、頭痛になる場合もあります。本によれば胃酸過多になったり、リュウマチになったりすることもある、なんて書いてあります。
たまたま体の具合の悪い人がこれを読んで「なるほど汗の内攻だ」と早合点しても困りますが、この「内攻」という現象を知らないよりはよいと思います。
人の体を観察すると、汗が内攻した状態は手を近づけただけで触れる前から皮下に冷感があります。皮膚の下に冷たいせせらぎが流れているような感覚で、触ると厚手のウエットスーツを着ているような印象を受けます。
こうなってしまうと素人では処置が難しいかも知れません。整体の本には「胸椎の五番に愉気をして、それから体を温める」なんて書いてありますが、ちょっと専門的すぎます。
一応説明しておくと、下を向くように首をぐっと下げて飛び出して見えるのは頸椎(首の骨)の七番。この七番を触って、試しに顔を左右に振ると一緒によく動きます。その下から胸椎(胸の骨)になり、顔を左右に振ってもほどんど動きません。何故なら胸椎は肋骨によって可動域が制限されているからです。その胸椎を上から下に数えて、五つ目が五番です。
少し訓練した手で触ると(汗が内攻した状態ならば)他の骨とは違う「異常感」といいますか、「主張」が感じられます。こういう場合私はよく蒸しタオルを絞って繰り返し当てますが、ともかくそこに気を集めるように刺激して揺さぶり、活元運動が出る人なら運動を誘導して、背骨全体の協調性というか弾力の回復を図ります。
それからお風呂に入るなり、それか半身浴とか、ともかく汗をドカドカ出すようにしてもらう。そうすると3、4時間で調子が変わって来ることがあります。
こういうものを風邪だからといって、薬で抑えたり、夏場にエアコンの利いた涼しい部屋で休んでいてもなかなか経過は芳しくないと思います。体の見方ひとつで、こうも変わってくるのだということです。汗をかいたら建物に入る前によく拭くこと、着替えを持ち歩いて着替えることでも内攻を予防できます。養生の一つの方法です。